関の氏神 亀山八幡宮

関の氏神 亀山八幡宮

亀山八幡宮とは

亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう)は、関門海峡の鎮護の神社として大内氏や毛利氏の信仰を受けてきました。

下関の総鎮主であり、長門国三宮に列せられています。

もともとは、宇佐神宮から石清水八幡宮に八幡様を勧誘するときに、「この山は清浄な地であるので、しばらく祀ってから先へ進んでほしい」と神託を受けたことにより、ここに神社を設けることになりました。

主祭神の3柱の関係ですが、有名な日本武尊の子供が仲哀天皇。

仲哀天皇の奥さんが、神功皇后。

その2人の子供が、応神天皇となっています。

御祭神とご利益

御祭神:

応神天皇(おうじんてんのう)

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)

神功皇后(じんぐうこうごう)

ご利益:安産、学業成就、勝負運

亀山八幡宮へ行く

亀山八幡宮に行きますと、まず目を引くのが、大鳥居です。

亀山八幡宮

この大鳥居は、御影石の鳥居としては日本最大の鳥居です。

鳥居につけられている扁額は、なんと3畳もの大きさになります。

扁額が3畳ですから、この鳥居がどれだけ大きいか想像してもらえると思います。

鳥居を抜け参道の階段を上がっていると、途中で狛犬が迎えてくれます!!

亀山八幡宮

亀山八幡宮

優しい感じの狛犬ですね。

急な坂の途中に居るので、まるで「坂道頑張って!!」と言われているようでした。

境内で目立つ ふくの像

境内には亀山砲撃台跡があります。

1863年に長州藩が、米国商船を砲撃する事件が起こりました。

この砲撃は、亀山八幡宮のこの場所から撃たれたものと言われています。

近代日本の幕開けにつながる第一弾は、この場所から発射されたのです。

その横には、ふくの像があります。

亀山八幡宮

空を海にたとえて、まるで大海をゆったりと泳いでいるようです。

今はゆったり泳いでいる「ふく」ですが、過去にはちょっとした出来事がありました。

もともとこのふくの像は昭和9年に建てられ、地元の人や旅人に親しまれていました。

しかし、第二次世界大戦がはじまり金属が不足してくると、ふくの像は金属提供されることになります。

その後、このふくの像は、地元の方々の有志により平成元年に再建されたのでした。

ちなみに、山口では「ふぐ」のことを縁起を担いで「ふく」と呼びます。

お亀明神と子持ち狛犬

そして、その先にはお亀明神があります。

亀山八幡宮

神社のある土地は、昔は島でした。

江戸時代に、海を埋め立て、陸続きにする工事を行っていました。

しかし、急流の影響で工事は難航しました。

そのために、毛利藩は人柱を募集することにしました。

お亀さんと言う女性が人柱になり海に身を投じました。

その後は、急流の影響もなくなり、工事は無事に終わりました。

その後、お亀さんの功績をたたえ、境内に植えたイチョウはお亀イチョウと呼ばれています。

お亀明神の向かいに狛犬が居ます。

亀山八幡宮

亀山八幡宮

上の狛犬をよく見てみますと、背中と胸に1匹づつ子供を抱えています。

下の狛犬は、写真では見えませんが背中に子供を抱えています。

家族5人で、仲良く神社を守っているのです。

子持ち狛犬はよく見ますが、これだけ大所帯の狛犬は珍しいですね。

作られたのも古く、文久三年(1863年)と台座に彫られています。

手水舎と拝殿

手水舎に向かいます。

亀山八幡宮

亀山八幡宮だけに、手水舎も「かめ」です。

そして、拝殿になります。

亀山八幡宮

とても美しい拝殿です。

お正月が過ぎたばかりでしたので、地元の方の参拝者で賑わっていました!!

御朱印を書いてもらうために、拝殿の中で待っていた時のことです。

お祓いが終わった一行が出てきました。

出てきた人を見てビックリしました。

なんと、安部晋三総理だったのです。

安部さんや地元の参拝者の方を見て、地元の方から愛されている神社なんだと思いました。

本当に素敵な神社です。

宮地嶽神社と熊鷹稲荷社

拝殿の横には、境内社があります。

亀山八幡宮

左の宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は、嵐のJALのCMで有名になった福岡県宗像市の宮地嶽神社から勧請されたと伝えられています。

開運・商売繁盛で有名な神社です。

右の熊鷹稲荷神社(くまたかいなりじんじゃ)は、京都の伏居稲荷神社から勧請されたと伝えられています。

五穀豊穣、病気平癒で有名な神社です。

地元の人々に愛されている素晴らしい神社です。

ぜひ、お参りくださいませ。

御朱印

亀山八幡宮

地図・住所・駐車場

住所:山口県下関市中之町1−1

電話番号:083-231-1323

駐車場:あり

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